「かんがえようコギト」

アレクシス・ディーコン 絵 ヴィヴィアン・シュワルツ 文 青山南 訳
(2021年7月25日発行)

 

(作品紹介) https://www.youtube.com/watch?v=kCd5Zv0pJQE 

  第8作目は楽しい哲学絵本「ぼくはむくどりのヘンリー」の連作続編、「かんがえろ コギト」です。ヘンリーが「考える最初のむくどり」になる前、まだ卵の中で大きくなっているひなの時のことです。卵の中で、ひなは手探り、足蹴りしながら世界を探ります。「考える」の始まりの始まりの始まりです。殻で閉ざされている卵の中で、動いている自分を観察し、自分を取り囲む殻という壁を押したり叩いたり、世界の外側のこと考えます。自分も動いているけど、どうも外の世界も動いているようだと……。そしていよいよ時がきて、殻を破ってまわりのみんなも生まれてくるのです。「タクタクタク、タク」「パッカーン」、新しい世界の始まる瞬間です。世界はなんだろうと考えつづけていたひなのコギトの生命と人生が、世界の一員になる瞬間です。だから世界は、コギトの生命であり、コギトが人生を感じる場所なのです。

 

哲学は面倒臭い?

  どう考えたって、哲学なんて七面倒なことは、子ども向けの絵本には、ミスマッチでしょう!100人いれば100人がそう答えるに違いありません。でも、哲学的な視点を持って、ものごとに立ち向かうことと、哲学的な理屈合わせ(言説)は、まったく別のものです。理論と現実は世界が違うのです。生命の始まりと終わりを感じること、自分の生命の広がりと位置を知ることなしに、生命も世界も輝くことはありません。大人の世界と子どもたちの世界は別の世界ではないのです。そしてそれは誕生からはじまります。見守り、導き育てることで、世界は動きつづけている……そんな直感から、この作品がこころを形成するプログラムの象徴としてシリーズの一冊に加わることになったのです。

 

コギトがタク、タク、タクと卵の殻を破る直前のページに、こんな文章があります……

 

かんがえよう、コギト、

ひょっとして、わたしのとそっくりな世界が

ほかにもあるのでは?

 

みんな、壁のなかに

とじこめられていて、

ほかの世界をこわがっていて、

みんなおなじということを

しらない、みたいな。

そうだとしたら?

 

それは

きっと

かなしい。

 

青山南先生にこの常識を超えた哲学絵本の翻訳を、お願いできたことは本当に僥倖でした。「世界」という言葉が、哲学が意図する言葉の意味を超え、温かな詩情あふれるコトバとして変化したことを感じて、とてもうれしくかったのです。