「音楽を お月さまに」

フィリプ・ステッド 文 エリン・ステッド 絵 田中万里 訳
(2021年4月25日発行)

 

(作品紹介)

おかげさまで「カクイチ研究所の絵本」も7冊目となりました。「自然=生命」が織りなされる素材と現場にフォーカスしたシリーズもここでひと区切り。シリーズ後半は、刻々と世界が広がり、個性が芽生える成長期の子どもたちの多感なこころの動きに応える情感豊かな作品を選んでいくつもりです。ハートプログラムを探るシリーズ後半の最初の作品は、アメリカで最も権威ある児童文学賞である図書館協会のコールデコット賞の受賞者であるフィリップ+エリン・ステッド夫妻の最新作 Music for Mister Moon (2019) 「音楽を お月さまに」です。

 

夢の色の絵本

森とハリエットの夢の色で刷り上げられた美しい仕上がりの絵本です。画面は夜の森の色と少女ハリエットの夢の色彩で、深い幻想的な青緑色で覆われていきます。版画の技法が応用されています。ティールカラーの濃淡だけで、ハンク(=ハリエット)の繊細なこころの変化が表現され、単なる虚構としてのファンタジーとは違う波に揺れて漂うようなリズムが溢れてくるファンタジックな物語です。夜と森を支配する沈黙、絵本ではその音は聴こえないのだけれど……きっとハンクはこころのメロディを奏でている。この年頃の子どもの心理描写がとても細やかです。両親との葛藤はペンギンとインゲン豆で、人前で演奏することの緊張と孤立が、お気に入りのぬいぐるみで、表現されています。孤独を見つめるハンクの新しい友だち、お月さまの出会いは最高。小さな怒りや憤怒や癇癪が、家族や世界の平和を毀してしまうことだってあるのです。でも、ハンクの放った癇癪のティーカップは何と月に命中!音楽がハンクと外の世界を結びつけ、こころとこころを繋ぎます。そしてこころの未来をひらいていきます。この夢の色の絵本は、孤独と静けさが、大切な音楽の材料であったことを気づかせてくれるます。 

 

『音楽を お月さまに』を翻訳して (翻訳者からのノート)

絵本の読み方は人様々、その時の心の状態にだって左右されます。すぐにその世界に取り込まれます。この日は、こんなふうに読んでみました。

「こんな読み方もあるのかな?」

……殻を内側から破って、外の世界への第一歩を踏み出す

ハリエットはクマとアザラシのぬいぐるみと、チェロがお友だちの女の子です。

ひとりで誰にも邪魔されずにチェロを弾くことが幸せでした。

人前で演奏するなんてとんでもない、考えただけで冷や汗が出てほてってきます、絶対に嫌でした。

ある日いたずらフクロウに演奏の邪魔をされ

(たぶん、このフクロウはハリエットの奏でるチェロの音が大好きなだけ?)

かんしゃくを起こして投げたティーカップに導かれて

外の世界に第一歩を踏み出すことになります。

ハリエットは自分の短気が起こしてしまった結末に直面することになります。

だってお月さまにあたって空から落ちてしまったのですから。

この落ちてきたお月さまとの出会いが彼女の閉じられた世界から外の世界へ踏み出す第一歩になります。

 

自分のせいで大変なことになってしまったお月さまのために大奮闘をするくらいですから、ハリエットは傷つきやすいナイーブな子ではありますが、とても優しい心を持った責任感の強い、うちに秘めたエネルギーレベルの高い勇気ある女の子なのでしょう。お月さまのための行動を通して、迷惑をかけること、申し訳なく思うこと、謝ること、助けてもらうこと、お願いすること等、閉じこもっていては経験できないことを次々と体験していきます。そしてお月さまは空にいるのにみんなとつながり、慕われていることを知ります。「誰かのために何かをすることでつながりがうまれる」、それが自分の過失から生じたことであるにせよ今までのハリエットになかったエネルギーいっぱいの心の動きが生じます。フクロウにあたってしまったら、暴力ともなりうる『かんしゃくのティーカップの一撃』が別の所でもっとひどい結果を導いてしまったにもかかわらず、起きてしまってからのハリエットの心からの行動により、結果的には『内側からこころの殻に穴をあけ、外に通じる道を開くことになった』とも言えます。豊かな感受性をもつ女の子のこころの扉が開いたのです。

ハリエットは、お月さまに素敵な思い出を作ってあげ、無事に空へ戻し、お月さまの最後の願いの「月で音楽を」をかなえてあげます。そして勇気を奮い起こして、お月さまのためにチェロを奏でるのです。