「ぼくは むくどりのヘンリー」

アレクシス・ディーコン 文 ヴィヴィアン・シュワルツ 絵  青山南 訳

(2020年6月25日発行)

(作品紹介) 

  第4作は哲学絵本「ぼくはむくどりのヘンリー」は、アレクシス・ディーコン(文)とヴィヴィアン・シュワルツ(絵)のコンビが生み出したとてもユニークな哲学絵本を選びました。原題は I am Henry Finch。指紋を使って、朱肉で押印した真っ赤な小鳥たちを画面いっぱいに描いた鮮烈な絵が目に飛びこんできます。指紋に目とくちばしと足と翼を書き込んだだけなのに、なんてイキイキとした表情なのだろう!聞けば、一年後には連作としてERGOが予定されているとのこと。絵本の題名「ぼくはむくどりのヘンリー」は、明らかに17世紀の哲学者ルネ・デカルトの (ラテン語)は、英語なれば I think, therefore, I am (われ思う、ゆえに、われ在り)のパロディ。作者はむずかしい哲学のコトバを明るく賑やかに絵本で表現します。ヴィヴィアン・シュワルツが描く絵の躍動感の凄さに圧倒され、両作品の翻訳版権を取得しました。そして幸運にも青山南先生がこの少々難解な哲学絵本の内容をわかりやすく再表現してくださいました。

  肉じゃなくて植物を食べて!

  この哲学絵本のタイトルに込めた作者の真意をつかむのは、簡単ではありません。では作品の展開からヒントを探ってみましょう……

「ぼくはむくどりのヘンリー」の題名はデカルトの言葉の後半「ゆえにわれあり」のパロディなのですが、ヘンリーの冒険は冒頭のthink:「ぼくはかんがえている」と、ある朝とつぜんに気づいたことから始まります。「ぼくは考える最初のむくどり。すごいんだ!」と、ハイテンションになって、怪物に突進し、ぱくりと食べられてしまいます。ところが……怪物のおなかのなかで、考え続けるヘンリーに、怪物のほんとうの考えが聴こえてきたのです。「かぞくのみんなにたべさせるんだ」と。そして、ヘンリーは怪物のおなかの中から、「これからは植物を食べるベジタリアン怪物になればいいのに」と、さとします。そして、「口をおおきくあけて・・・」と起死回生の脱出劇。まるで、鯨に飲み込まれてしまったゼペットじいさんとピノキオのように、ヘンリーは見事脱出、なかまたちのところに生還できました。考えつづけていると、自分の中にいろいろな考えが浮かんできます。そして耳をすませば、まわりの雑音の中から本当の声が聴こえてくる。作者の意図は、考えると聴こえるが一緒になったとき、世界と自分の関係が変化して新しい存在となって現れてくるというメッセージなのでしょうか? でも、子どもたちにはむずかしい哲学はまだ不要、たとえ、怪物のおなかに中にのみこまれてしまうようなたいへんな事態になっても、「考えて、考えて、耳をすませていると……世界のほうからメッセージが聴こえてくるんじゃないかな?それがほんものの勇気を見つける手がかりだ」と、ヘンリーは微笑み羽ばたいている気がします。